うつ病との出会い
こんにちは、とみーです(^^)
希望いっぱい、元気いっぱいの大学生だった
とみーがうつ病と出会うまでを振り返ります。
* * * * *
大学を卒業して、とみーは旅行会社に就職しました。
UNIQLOと旅行会社と2社内定をいただいていましたが、
大好きな海外に携われる職業を選びました。
人気のある企業で、倍率は高かったと聞きました。
入職前の3月には、東京に全国から新入社員が集まり、
「研修」という名の新人教育が行われました。
3日間の研修では、マラソン、声出し、業界についての座学。
常にグループ活動で、いい行いをするとポイントが与えられ、
名札にシールが増えていく、という個人評価もありました。
超体育会系の研修では、人事の偉い人がいつも叫び散らしていて
怯えて過ごしながらも、最終日のグループ発表に向けて
違う地域の同期と絆の深まる貴重な時間でした。
でも、とみーはこんな恐怖の日々がその後も続くとは
予想もしていませんでした。
いい思い出になったーくらいに思っていました(笑)
* * * * *
法人営業部に配属されたとみーは、5人の同期と共に
本部でも一般の営業店舗でもない、
とあるビルのワンフロアで勤務することになりました。
偉い人たちはいつもイライラしていて、怒号が飛ぶのは当たり前。
ペンや紙くずが八つ当たり的に飛んできたり、
蹴ったゴミ箱が、とみーの机にガツンっとシュートされた時には
心の底から震え上がったのを覚えています。
恥ずかしながら私は機械音痴で、業務を覚えるのに苦労しました。
Wordで卒論を書いただけくらいのスペックだったので、
PC技術を駆使して航空券を予約する専門業務や予約システム、
会社独自のサイトを理解するのに時間がかかりすぎました。
営業職ですから、何人の航空券を取るか数値目標があり、
達成できないまま月日が流れました。
出来の悪い私への先輩たちの態度は日に日に悪くなりました。
地域特有の「あんたさー」という呼び方も、つらく感じましたし、
「おまえさー、なんでそんなこともできないの?」とか
大声でキレ散らかす先輩を前に、初めは感じていた反発心や怒りも
私が先輩をイラつかせている、という自分への刃に変わっていきました。
出勤時のエレベーターの中、
「国立大を出てるからって、仕事ができるわけじゃないからねー」
なんて、私の出身校をどうやって知ったんだろう…なんて思いながら、
とみーは自信もやる気も、生きる価値さえもなくしていきました。
一年後。
小雨の降る夜。帰路の途中で何を思ったのか、
とみーは道路にふらっと歩みを進めていました。
だんだん車のライトが近づいてきて…
白くてまぶしい光が…
反対車線を車が横切る音がして、
我に返った私は、なんとか引き返し、歩道に立ち尽くしました。
* * * * *
その頃のとみーには、身体症状がでていました。
頭痛、立ち眩み、めまい、吐き気や無気力、悪夢にうなされたり、
睡眠障害で夜中に目覚めるのはしょっちゅうでした。
簡単な暗算や状況把握にも時間がかかったり、
職場の恐怖感もあいまって、普段しないミスも連発していました。
朝の通勤ラッシュ時、満員電車で酸欠になり、
倒れて運び出されたこともありました。
地域の小さな病院も総合病院も受診して、CTも撮ってもらいました。
異常なし、原因不明、疲労などの診断で処方箋も効きませんでした。
4、5か所目の病院で、先生が控えめにこうおっしゃいました。
「心療内科に行ってみませんか?」
思いもよらない提案に、正直、驚きを隠せませんでした。
その先生が書いてくれた紹介状を手に、
とみーは生まれて初めて、心療内科に足を運びました。
「うつ病の所見があります。」
とみーがうつ病と出会った瞬間でした。
* * * * *
自分が精神病になるなんて。
正直、受け入れられませんでした。
今でこそ「うつ病」は珍しい病名ではありませんが、
2010年の当時、まだ公表するにはだいぶ勇気がいる雰囲気でした。
まして勝ち気で自信のある自分像を作り上げてきた私にとって、
その診断は「社会への敗北」を宣告されたように感じました。
ショックすぎて、通院することも恐ろしく感じてしまい、
誰に相談することもなく、とみーは退職を選びました。
苦しい毎日を送っていたことを知っていた当時の人事が、
退職当日にとみーに会いに来てくれました。
人事はとてもいい人達だったので、涙を流して謝ってくれました。
* * * * *
最終的に、そのオフィスで勤務する同期6名のうち、
3名がうつ病になり、職場を離れました。
とみーが退職した数年後、企業のトップ層が入れ替わり、
社員アンケートを行った上での人事で、
多くの偉い人が飛ばされたり、降格したそうです。
こんな感じで、とみーは1回目のうつ病を経験しました。
恐怖感と若さ(未熟さ?)もあいまって、
自分の状況を受け入れることができませんでしたが、
これが始まりに過ぎないなんて、当時は思いもしませんでした。
ここからが、苦悩の10年間のスタートだったなんて…
それでは、今日はこのへんで(^^)/~~~