光のこどもたちへ

☆心と身体を回復する、健康法の挑戦記録☆ 10年で2度のうつ病を経験し、生きづらさや体調不良と向き合って、心身共に健康に生きるまでを記録しています。HSS型HSP、転職を繰り返して自信喪失…でも自分らしい人生をあきらめたくない!そんな私が自分とまっすぐ向き合うブログです。

うつ病との出会い

こんにちは、とみーです(^^)

 

希望いっぱい、元気いっぱいの大学生だった

とみーがうつ病と出会うまでを振り返ります。

 

* * * * *

 

大学を卒業して、とみーは旅行会社に就職しました。

UNIQLOと旅行会社と2社内定をいただいていましたが、

大好きな海外に携われる職業を選びました。

 

人気のある企業で、倍率は高かったと聞きました。

入職前の3月には、東京に全国から新入社員が集まり、

「研修」という名の新人教育が行われました。

 

3日間の研修では、マラソン、声出し、業界についての座学。

常にグループ活動で、いい行いをするとポイントが与えられ、

名札にシールが増えていく、という個人評価もありました。

 

超体育会系の研修では、人事の偉い人がいつも叫び散らしていて

怯えて過ごしながらも、最終日のグループ発表に向けて

違う地域の同期と絆の深まる貴重な時間でした。

 

でも、とみーはこんな恐怖の日々がその後も続くとは

予想もしていませんでした。

いい思い出になったーくらいに思っていました(笑)

 

* * * * *

 

法人営業部に配属されたとみーは、5人の同期と共に

本部でも一般の営業店舗でもない、

とあるビルのワンフロアで勤務することになりました。

 

偉い人たちはいつもイライラしていて、怒号が飛ぶのは当たり前。

ペンや紙くずが八つ当たり的に飛んできたり、

蹴ったゴミ箱が、とみーの机にガツンっとシュートされた時には

心の底から震え上がったのを覚えています。

 

恥ずかしながら私は機械音痴で、業務を覚えるのに苦労しました。

Wordで卒論を書いただけくらいのスペックだったので、

PC技術を駆使して航空券を予約する専門業務や予約システム、

会社独自のサイトを理解するのに時間がかかりすぎました。

 

営業職ですから、何人の航空券を取るか数値目標があり、

達成できないまま月日が流れました。

 

出来の悪い私への先輩たちの態度は日に日に悪くなりました。

地域特有の「あんたさー」という呼び方も、つらく感じましたし、

「おまえさー、なんでそんなこともできないの?」とか

大声でキレ散らかす先輩を前に、初めは感じていた反発心や怒りも

私が先輩をイラつかせている、という自分への刃に変わっていきました。

 

出勤時のエレベーターの中、

「国立大を出てるからって、仕事ができるわけじゃないからねー」

なんて、私の出身校をどうやって知ったんだろう…なんて思いながら、

とみーは自信もやる気も、生きる価値さえもなくしていきました。

 

 

一年後。

小雨の降る夜。帰路の途中で何を思ったのか、

とみーは道路にふらっと歩みを進めていました。

だんだん車のライトが近づいてきて…

白くてまぶしい光が…

 

反対車線を車が横切る音がして、

我に返った私は、なんとか引き返し、歩道に立ち尽くしました。

 

* * * * *

 

その頃のとみーには、身体症状がでていました。

 

頭痛、立ち眩み、めまい、吐き気や無気力、悪夢にうなされたり、

睡眠障害で夜中に目覚めるのはしょっちゅうでした。

簡単な暗算や状況把握にも時間がかかったり、

職場の恐怖感もあいまって、普段しないミスも連発していました。

 

朝の通勤ラッシュ時、満員電車で酸欠になり、

倒れて運び出されたこともありました。

 

地域の小さな病院も総合病院も受診して、CTも撮ってもらいました。

異常なし、原因不明、疲労などの診断で処方箋も効きませんでした。

4、5か所目の病院で、先生が控えめにこうおっしゃいました。

心療内科に行ってみませんか?」

思いもよらない提案に、正直、驚きを隠せませんでした。

 

その先生が書いてくれた紹介状を手に、

とみーは生まれて初めて、心療内科に足を運びました。

うつ病の所見があります。」

とみーがうつ病と出会った瞬間でした。

 

* * * * *

 

自分が精神病になるなんて。

正直、受け入れられませんでした。

 

今でこそ「うつ病」は珍しい病名ではありませんが、

2010年の当時、まだ公表するにはだいぶ勇気がいる雰囲気でした。

 

まして勝ち気で自信のある自分像を作り上げてきた私にとって、

その診断は「社会への敗北」を宣告されたように感じました。

 

ショックすぎて、通院することも恐ろしく感じてしまい、

誰に相談することもなく、とみーは退職を選びました。

 

苦しい毎日を送っていたことを知っていた当時の人事が、

退職当日にとみーに会いに来てくれました。

人事はとてもいい人達だったので、涙を流して謝ってくれました。

 

* * * * *

 

最終的に、そのオフィスで勤務する同期6名のうち、

3名がうつ病になり、職場を離れました。

 

とみーが退職した数年後、企業のトップ層が入れ替わり、

社員アンケートを行った上での人事で、

多くの偉い人が飛ばされたり、降格したそうです。

 

 

こんな感じで、とみーは1回目のうつ病を経験しました。

 

恐怖感と若さ(未熟さ?)もあいまって、

自分の状況を受け入れることができませんでしたが、

これが始まりに過ぎないなんて、当時は思いもしませんでした。

 

ここからが、苦悩の10年間のスタートだったなんて…

 

 

それでは、今日はこのへんで(^^)/~~~

 

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